About Mark House 発蒙館(Hatsumoo-kan)

An International Place to be in Japan

 

Mark House Hatsumoo-kan is an international organization for youth and adults aiming to create "the third place to be", outside school, work, and home in Japan.

 

You can just call it “Mark House" in English!

  

With our mission of “Connecting through Words, Knowledge, and Heart”, we hold events such as:

 

a Language Exchange Cafe for English speakers learning Japanese, and Japanese speakers learning English;

 

"Dr. Mark's World Cafe", learning about the world and SDGs in easy English and Japanese;

 

and an "International basho (place to be) Cafe", with music and dog therapy for those who have hardships in life due to their chronic illness or some life situation.

 

All events are held either in the home of an international couple from Australia, or at a nearby cafe located near JR Omori.

 

 

 

Mark House 発蒙館(はつもうかん)は、学校や職場、家庭以外の「インタナショナルな第三の居場所」づくりを目指す若者応援&おとな塾(おとな基地?!)です。

 

省略して「Mark House」と呼んでください!

  

東京都、JR大森駅に住むオーストラリア人と日本人の国際結婚カップルの自宅や近隣のカフェなどで、「言葉と知識と心を通してつながる」をミッションに、

 

英語学習者と日本語学習者をつなぐ「ランゲージエクスチェンジCafe」、

 

国際情勢やSDGsを簡単な英語と日本語で学ぶ「くーちゃん博士の世界カフェ」、

 

難病や諸事情で生きづらさを感じている人々の憩いの場として、「インターナショナル居場所カフェ with 音楽&ドッグセラピー」などのイベントを開催しています。

  

 


Our Story

 

Suffering with three chronic conditions, Chronic Lyme Disease, Cerebrospinal Fluid Leak, and blepharospasm for over 25 years,

 

I , Masako Mark, kept wondering what I could do with the limited energy I receive from IV drips every other day, epidural saline patches, and medications. 

 

I tried many things to participate to the society, but it was all very difficult, as  I couldn't keep my head up too long, use my eyes freely, nor produce sufficient energy.

 

At the same time,  I met many people and youth who are in difficult situations due to their illness and circumstances.

Young carers looking after their sick parent, those who lost their parent due to illness, and those who are suffering from chronic illness themselves. 

 

My Australian husband Craig was also so busy with his work and care for me that he couldn't study Japanese and was a bit left out from Japanese society.

 

So, we decided to found an international organization, Mark House, for those foreigners and Japanese people who need a place to belong in Japan, just as we do! 

 

By helping each other  and borrowing the talents and gifts of those who we meet, we aim to create a place where we can all grow together through Words, Knowledge, and Heart!

 

 

マダニ媒介感染症による慢性ライム病、脳脊髄液減少症、眼瞼痙攣という3つの難病を持ち 25年以上生きづらさと症状の波をサーフィンしながら生きる中で 

 

一日おきの点滴と生食パッチ、投薬治療で得るわずかなエネルギーで自分にできることは何か?を模索してきました。

 

頭が長く上げられない、光過敏で目も自由に使えない、その上、エネルギー産出ができない、、、

 

なんとか社会参加を試みるも、どれもかなりの無理を強いることばかりでした。


それでも、そこには様々な病気や状況に置かれている人々や若者たちとの出会いがありました。


私も含めて、みな、ありのままの自分でいられる居場所を求めていると感じました。

 

そして、夫のクレイグもまた、仕事と妻の介助に追われ、日本語の勉強もできず、知らず知らずのうちに、日本の社会から取り残されている状態でした。

 

そこで、自分たちと同じように、日本で人との温かい交流を求めている外国人や 


病気や様々な事情を抱える若者たち、


そして、ほっと息抜きできる居場所を求める大人たちのための


インターナショナルな「居場所」を作ろうと思い立ち、「MarkHouse発蒙館」をスタートしました。

 

互いの弱さを補いながら、その時、その時、出会った人たちの才能やギフトを持ち寄り

 

「言葉と知識と心」を通して 共に成長できる居場所をクリエイトしていきます。


「発蒙館(はつもうかん)」ってなあに? 興味がある方はどうぞ!

Mark House発蒙館の名前の由来

「Mark House」の「Mark」は、マーククレイグとマーク雅子の苗字であると共に、

 

世界のベストセラーである聖書に出てくるイエスキリストの弟子、"マルコ(Mark)のおうち"をイメージしています。

 

また、「発蒙館(はつもうかん)」は、幕末から明治維新の時代を生きた教育者、井上堰水が自宅で開いた私塾「発蒙館」が由来です←こちらから「マンガ ふるさとの偉人 井上堰水ものがたり 心のゆくへ」(B&G財団)が読めます!

 

大森駅、馬込駅近くに蘇峰公園がありますが、その徳富蘇峰が、明治38年4月16日の国民新聞で、「大いなる小学教師」と井上堰水を称えるなど、丹波のペスタロッチと言われた教育者だったそうです。

 

いじめや嫌がらせを機に通っていた塾をやめ、独学で学問に励んだ井上少年は、その後、漢学や陽明学の先生から学問を学び、21歳の時、祖父が残した弓社に「発蒙館」を開き、30名あまりの門下生と寝食を共にしました。

 

アットホームで人とのつながりを大切にする24時間制の私塾です!

 

もし、嫌がらせを我慢して塾に通い続けていたら、全く違う未来が待っていたことでしょう。

 

みんなと同じじゃなくていい、、、

 

少し人と違っていても 実はそれがその人の愛すべき個性!

 

また、彼に寄り添い、学問の機会を与えてくれた周囲の大人がいたからこそ、自分の持っている個性やギフトを最終的に多くの人と分かち合うことができたのだと思います。

 

 

その後、井上堰水翁(えんすいおう)は、明治5年の教育令に伴い、新庄小学校ができると、31歳の時に、初代校長に就任しました。

 

なんと、学校をあげて林や田んぼをつくり その収益で学校を運営するという画期的な学校方針を打ち出しました。

  

教育者としての井上堰水翁と新庄小学校は次第に有名になり、

 

明治15年には、後の文部大臣、東大総長の浜尾新が文部省より視察に来ました。

 

その時、浜尾氏が、その小学校の入り口に置かれた鏡に目を留め、

 

「この鏡は何ですか」と問うと、

 

井上は、「鏡に映る人間の姿は人間それ自身の心の反映であり人格の現れです。

 

人の心を反映すると共に、各自の服装を矯正させるためのものです。」と答えたそうです。

 

これが、日本の小学校に今も尚、置かれている鏡の由来なのです。

 

 

その後も、京都府南丹市の園部高等小学校や船井郡立高等女学校の初代校長を務めましたが、当時、京都にできた小学校の校長先生の4割が井上堰水の教え子だったそうです。

 

井上堰水翁は、同志社大学創立者の新島襄よりキリスト教を学び、丹波第一教会の設立に尽力したそうです。晩年は、闘病生活に入るも、日々届く教え子たちからの手紙は尽きることはなく、その返事を書くことが生きがいとなっていたとのこと。

 

 

財団法人蘇峰会の1980年発行の「民友」の中に、「堰水翁七十年祭盛大におこなわれる」(上田千代次著)という記事があり、その中に、このような記述がありました。

 

「半介青年が塾の名を啓蒙と言わずに、発蒙(はつもう)と名付けられたことに感じ入った。

 

教師が児童の蒙(無知や愚かさ)を 啓いて(ひらいて)やるのではなく、その天分を延ばす、すなわち、発蒙するようにする。これこそが教育の根本理念である。」

 

教師が、一方的に知識を教えるのではなく、その子が生まれながらに持っている才能や性質を引き出し、延ばすことこそが教育ということでしょうか。

 

聖書の時代の家の集まり「Mark House」も、明治時代の「発蒙館」も、言葉と知識と心(愛)を通して、人とつながれる、誰もがほっとできる心の居場所だったのではないかと感じています。

 

そんな居場所を自分自身も求めて 「Mark House 発蒙館」と名付けました。

 

(ちょっとヘビーな名前の由来でした!)

 

 

 

参考・引用:

  • 「大いなる小学教師 井上堰水翁」(堰水先生没後百年追慕祭実行委員会)
  • 「マンガ ふるさとの偉人 井上堰水ものがたり 心のゆくへ」(B&G財団)
  • 「維新前後の井上半介」井上博民著
  • 「堰水翁70年祭盛大に行われる」上田千代次(1980年2月1日発行、「民友」財団法人蘇峰会)